お米で歴史を辿ろう ~縄文時代から江戸時代まで~

ブログお米で歴史を知ろう

縄文時代後期に伝来したと云われる、お米。伝来された頃は食糧の一つだった米は、次第に富や権力の象徴となっていきました。

 

伝来してから、お米は時代時代でどのように人々と関係し、影響を与えてきたのでしょうか。日本の歴史を『米』で読み解いていきます。

縄文時代

縄文時代後期、米は大陸から九州北部に伝わり、半世紀ほどで東海地方にまで広がりました。一方、気候が温暖で豊かな食糧があった東日本では、労働を伴う農業は受け入れられませんでした。しかし、次第に気温が下がり始めた影響で、東日本においても食糧不足が切実な問題となり、稲作が始まったと考えられます。

田んぼの画像

弥生時代

弥生時代の遺跡からは、たくさんの壺やかめが発掘されています。農業中心の生活で、米が貯蔵されるようになってからは、貧富の差が生じました。

農具に使用する鉄は、武器にもなり、『富み』の奪い合いが始まりました。

弥生時代の遺跡からは、縄文時代には見つからなかった傷ついた人骨が発掘されています。農業は『富み』や 『技術の発展』をもたらした一方で、争いを生み出したのです。

 

用水路を引いた田んぼ、スキやクワといった農具などの基本技術は、弥生時代に構築されました。驚くことに、現在もその基本技術は引き継がれています。

 

古墳時代

米という富によって、人々の間に階層が生じました。大量の米を持つものが鉄を所有するようになり、さらなる富、武力、権力、労力を握る支配者となりました。権力を顕示するために作られたのが古墳です。

お米を干している画像

奈良時代

天皇中心の本格的な国家運営がなされた奈良時代、全ての土地は天皇のもので、私有地の所有は禁止されました。人々には耕作用の『口分田(くぶんでん)』が与えられ、収穫した
は税金として徴収されました。この時代、鉄の普及が進み農業の生産力はあがりましたが、重い税負担から逃げ出す者が多くいました。

 

そこで、新たに開墾すれば三世代の間は自分の土地として所有できる『三世一身法』が制定されました。その後、『墾田永年私財法』が出され、開墾地を永久的に所有できるようになりました。人々は公的支配を受けない田(荘園)を増やしていきましたが、税を免れるために、税徴収する国司より身分の高い貴族に土地を寄進していきました。有力な貴族は勢力を増していき、こうして貴族社会を支配したのが藤原氏です。

都から離れた地方では、国の統率が届かず無法地帯化していき、農民・豪族と国司は武装化して対立が深まりました。このような国司と貴族の乱れで武士が誕生しました。

 

鎌倉時代・室町時代

鎌倉時代には、製鉄技術が進歩し、庶民に鉄が普及するようになり、米の生産量が飛躍的に伸びました。

お茶碗に入ったできたてご飯

戦国時代

豊臣秀吉は、全国の田畑を正確に測量して、農作物の生産高を把握し、年貢の量を定めました。

(太閤検地)

土地の生産力は米の収穫量で換算した単位「石」で表示されました。これを石高といいます。1石は、当時の一人の人間が年間に食べるお米の量1000合に値します。つまり、「100万石」なら、100万の人々を養える米の生産量があるということを意味します。

現在でも、農業で用いられる単位「反」を定めたのは、太閤検地です。一反は、一石の米が取れる面積を基準として、田んぼの面積で養える人数を把握できるようになっていました。また、米一石を買える金額は一両と定められました。つまり、

田んぼ面積一反=米収穫量一石=一人あたりのお米の年間消費量1000合=貨幣価値一両

なんですね。

このように当時は、米はただの食糧ではなく、「貨幣」そのものでした。米を作ることは、お金を生み出すことでした。

このような米の価値を基本とする経済を「米本位制」といいます。戦国時代は、貨幣の価値が不安定で、米は小判や金銭より信用力が高かったのです。

戦国大名は、戦さで勝利して領地を奪い取るほか、新たに開墾して米の生産量を増やして石高を増やしました。土木技術の発達を活かして、山間部にも水田を拓いて作られたのが棚田です。

 

江戸時代

江戸時代には、米本位制の経済が確立されました。

度重ねて自然災害や飢饉に見舞われた江戸時代、安定的な食糧供給・食糧対策が欠かせませんでした。金銀による貨幣は食糧の代わりにはなりませんが、米本位制ならば、経済活性化のために米増産に諸藩が取り組むため、理にかなっていました。また、米は長期保存が利いて長距離運搬が可能なため、貨幣の代わりとして用いやすかったのです。しかし、諸藩が米の増産に励み続けた結果、米は供給過剰となり、ついにはインフレとなりました。米の価格が下がり、他のものの物価が高くなったのです。

徳川吉宗は米の価格を上げるために、享保の改革を行って、経済を立て直しました。

時代が下るにつれて、米本位制と貨幣経済は並立し、貨幣経済の比率が増していきました。

豊臣秀吉の太閤検地以来続いた、石高制は明治6年の地租改正まで続きました。これより税金は米から金納となりました。

現在でも日本人には欠かせない食糧であるお米ですが、飢饉に脅かされていた時代には、富や権力の象徴だったり、貨幣の代わりとなったり、各時代で重要な役割を担ってきたのですね。

 

まとめ

いかがでしたか?以上が縄文時代から江戸時代までのお米の歴史になります!

このように時代によってお米に対する価値や思考は変わってはいるものの、どの時代でも大切に食されてきたんだろうと想像がつきます。

しかし近年では、フードロスと言う言葉が飛び交っているように、昔と今では少しお米に対するありがたみが変わりつつあるのかもしれません。

この機会にお米の歴史を知って、改めてありがたみを感じながら、食してみてはいかがでしょうか?

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